卒業式 式典映像にかける想い

卒業ビデオの最高峰へーー

48期から73期まで、長い年月にわたり撮影を続けてきた中で、私の中には自然と積み重なってきた想いがあります。

その間、何度も様々な同業の方々が学校に営業に来られましたが、私たちが選ばれ続けてこられたのは、「生徒ファースト」の姿勢を貫いてきたからだと感じています。
できる限りすべての生徒を、たとえ1カットでも映像に残す——それが私たちの信条です。
これはFineの社是である「寄り添い」にも通じるものです。
私は、彼らが20年後にこのビデオを見返したとき、どんな気持ちになるかを常に想像しながら制作しています。

生徒の中には、目立つことが得意な子もいれば、そうでない子もいます。
昔はバランスを取るために、あえて控えめな子を多めに撮ることもありましたが、今ではそれぞれの個性を尊重し、目立つ子はその輝きを存分に、控えめな子は自然な日常の中でそっと映すようにしています。
将来どのような道を歩むかは誰にも分かりませんが、20年後に見返したとき、きっとどの子も懐かしさとともに、当時の自分に向き合う何かを感じてくれるはずです。
それは、若さや未熟さゆえの感情かもしれませんが、決して不快なものではなく、大切な記憶の一部になると思っています。

授業中のちょっとした一言や、謝恩会での元気な姿も含め、できる限りそのままを残す——それが卒業ビデオの意義だと信じています。そこには、彼らの等身大の18歳が刻まれています。

印象的な思い出があります。
ある年の卒業生会長は背が高く、堂々とした雰囲気を持っていました。その彼が数年後、同窓会代表として卒業式に登壇したとき、外見は変わっていても、人生を歩んできた重みや風格が漂っていました。
また、昨年のクラス担任が実は卒業生だったことがあり、当時の映像を探すと、控えめに式を終えていた姿が残っていました。
しかし謝恩会での挨拶は堂々としており、「これぞ教育者」と思わせる立派なものでした。

ここ数年、謝恩会ではRADWIMPSの「正解」が歌われることが続きました。歌詞の通り、彼らのこれからの人生は無限の選択肢に満ちています。
この映像が、そんな人生の新たな出発点を胸に刻むきっかけとなり、これからの道を歩むための大切な「転轍機」になればと願っています。

——日本一の卒業ビデオをつくりたい。